まろんこが送る、本のある生活。

読書初心者の何気ない日常を綴ります。

ロバート・L・スティーヴンソン著【ジキルとハイド】

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こんにちは。まろんこです。

 

新潮文庫の100冊より、【ジキルとハイド】を読了しました。

 

私以前、出来る女性派遣社員に仕事面で嫉妬していることを書きましたが、誰かに認められたいとか、褒められたいとか、いい人になりたいとか、いわゆる“承認欲求“ていうものは、誰しも1度は求めたことがあると思います。

あとは、自分を好きになってもらいたい!とか愛を求めることも、あると思います。

 

けれど「悪になりたい!」と思ったことってありますか…?

 

【×下記ネタバレ注意×】

 

【ジキルとハイド】は二重人格の代名詞とも言われるイギリスの怪奇小説です。

 

主人公の友人、ジキル博士は多くの人から慕われ、お金も名誉も威厳もある素晴らしい男。

しかし一方で自分で開発した薬物の力によって邪悪なハイドへと姿を変えることにとてつもない快感を感じていました。

ジキル博士とは対照的に、ハイドは小柄で、見るだけで憎悪を感じ、その目で睨ままれば恐怖で汗が出るほど恐ろしい風貌で、

実際少女を蹴飛ばしたり、殺人まで犯し、ジキル博士の“善“の感情は一切ない人格となります。

 

ジキル博士は最初こそ一時的な快楽で“悪“を楽しんでいたのですが、

ハイドになることをやめることができず、次第に麻薬の量が増え、

最後にはジキルとハイドの割合も逆転したことから今度はジキルに戻ることが難しくなり、悲しい最後を迎えます…

 

本書は薬物によって2つの性格を交互に出現させていましたが、実際普通の人間にも“善“の一面と“悪“の一面がありますよね。

“悪“の感情はいいイメージがありませんが、もし周りの目が全く気にならなくて、人望も愛も必要ない!という状況に自分が陥ったら、“悪“になってに人を傷つけながら好き勝手振る舞えることが楽しくなるかも知れません。

 

例えば出来る女性派遣社員に嫉妬している私が、もし他人の目なんて気にせず悪に働くようになったら「悪いところを見つけては人にチクって、評判悪くさせよ〜」とか「何か意地悪してやろ〜」っていつか思うかも知れません。

 

けどそうならない理由は“善“の自分とのバランスが取れているからなんですよね。

「悔しいけど、いいところを真似してみよう」とか「悪口言って自分の品を落としたくない!」とか。

 

この小説は“悪“を否定しているわけではなく、“悪と“善“のバランスを保つことの大切さ、難しさを解いているように私は感じました。

 

実際にストレスが溜まることもありますもんね、“いい人“でいることは。

悪いことを否定しないでも、ちゃんとコントロールできていれば何の問題もない。

悪が存在することは恥ずかしいことではない。

そう感じることができて、私は心がスッキリした気分です。

 

けれど決してハッピーエンドな物語ではないので、人によって感じ方の異なると思います。

結末に関してだけでなく、物語の内容全体を友情物語と取ることもできるし、ファンタジーに捉える方もいらっしゃると思います。

ページ数も少なく、洋書にしては読みやす作品なので、気になる方はぜひ読んでみてください!

 

以上、まろんこでした。