まろんこが送る、本のある生活。

読書初心者の何気ない日常を綴ります。

森下典子著【日日是好日 「お茶」が教えてくれた15の幸せ】

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こんにちは。まろんこです。

 

本日は森下典子著【日日是好日 「お茶」が教えてくれた15の幸せ】の感想です^ ^

 

たまたま昨日まで主人と軽井沢に出かけていました。

避暑地と言われるだけあって8月でもとても涼しく、

緑鮮やかで、人の声が遠くから聞こえるような(ソーシャルディスタンスだから?笑)

心清まるとてもいい時間を過ごしました。

 

心が落ち着いている時に読んでしまいたいな〜と思って

手に取ったのが【日日是好日】です。

 

あらすじを読んでみましょ〜

 

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お茶を習い始めて25年。就職につまずき、いつも不安で自分の居場所を探し続けた日々。

失恋、父の死という悲しみの中で、そばに「お茶」があった。がんじがらめの決まりごとの向こうに、やがて見えてきた自由。「ここにいるだけでよい」という心の安息。雨が匂う、雨の一粒一粒が聴こえる……季節を五感で味わう喜びとともに、「今、生きている!」その感動を鮮やかに綴る。

 

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森下典子先生ご自身が

「お茶」と向き合った25年の出来事を綴った本です。

 

元々「お茶」に興味があった訳ではない森下先生、

あるきっかけから「タダモノじゃないお辞儀をする」武田先生からお茶を習い始めます。

 

いざ「お茶」を習い始めると作法が細かすぎることに驚き、

ひたすら決まった動作を何度も何度も指摘されながら繰り返します。

 

例えば、表紙になっているお茶の写真。

細かい泡をこんもり立てる流派もあるそうですが、武田先生は

「泡が切れて、三日月型に、水面が見えるように立てなさい」と言います。

ほとんどの人が、お茶の泡の形なんて気にしたことないのではないでしょうか。

 

しかも使う道具や作法は季節によって変わっていき、

作法を覚えることがなかなかできません。

さらに理解できない部分を武田先生に質問すると、

「なんででも、いいの。とにかくこうするの」と跳ね返され、

「武田先生って実は意地悪なの!?」と私も読んでいてハラハラ…

結局わからない事だらけのまま、1年、また1年と時は過ぎています。

 

途中、就職難があったり、失恋があったり、人と比べて上手くできないことがあったりで、

「お茶をサボりたい」「辞めたい」と悩むシーンが何回も出てきますが、

結局「お茶」によって森下先生は救われ、様々な“気づき“と出会うことになります。

 

私からすると「お茶」は“美味しいお菓子とお茶を和かに頂きながら季節を楽しむ“。

そんな解釈で、決して間違ってはいないけれど、

実は真剣に「お茶」向き合った人だけがたどり着ける未知の世界があることを知りました。

 

武田先生は生徒たちがいつかこの「自由」に気づくという事がわかっていて、信じていて、

そのことを伝えるためにあえて生徒に余計なことを教えずに、

段取りだけを徹底的に叩き込んでいったのです。

 

それが武田先生の人柄が、お茶の文化からかは分かりませんが、

そのことが分かった時には日本の奥ゆかしさを感じました。

全てのことを口から伝えられる訳ではない。

今ここに集中することで気づくことが出来るものがある、と。

 

豊臣秀吉は昔、利久を戦場にまで伴ってお茶を点てさせたと言いますが、

そこには常に押し寄せてくる悩み、迷い、不安から解き放され、

1人の人間に戻る意味があったとしたら、「お茶」を嗜むことで得るパワーって物凄いものですよね。

 

あと素敵だなと思ったのが、

お教室に飾る椿の話。

満開に咲いているのがいいような気がしていたのですが、

茶花としては少し蕾が緩んでいるくらいが理想とされていて、

「花は野にあるように」と言ったように、飾り立てた花ではなく

自然の姿を表すような茶花が好まれるそうです。

すごく「美」を感じるポイントでしたね。

 

私は大学の時に特別授業か何かでお茶を体験した程度で、

(それも強制的にやらされたから記憶もありません…)

本格的な茶道って全くの無知に等しいのです。

残念ながら、私の家の近くには茶道のお教室がないのですが、

これを機にどこかで体験でもできないかとスマホをいじりだいたまろんこでした。

 

今日はここまで。ありがとうございました♪